沿革

日本にカラー印刷技術を導入受け継がれる伝統と精神年表

年表

1915(大正4)年3月1日 田中松太郎が千代田区内神田に田中半七製版所を創業。
1916(大正5)年4月 文部省指定により日本初の法隆寺金堂壁画の撮影を行う。
1917(大正6)年文部省印刷局や軍関係者から特殊写真印刷や軍需印刷物等の原色版並びに印刷を請け負う。
1924(大正13)年神田連雀町に社屋工場を移転する。
1927(昭和2)年戦災復興区画整理により品川区大崎本町に社屋工場を移転する。
1935(昭和10)年初めての美術誌『みずゑ』創刊。原色版印刷を担当する。
1941(昭和16)年田中松太郎が東京日日新聞より『印刷功労賞』を受賞する。
1942(昭和17)年合資会社半七印刷製版所に組織変更。
1944(昭和19)年戦時下強制疎開により千代田区飯田町に社屋工場を移転する。
1945(昭和20)年東京大空襲により本社及び工場焼失。港区芝浦にて営業再開。
1948(昭和23)年3月24日 半七写真印刷工業株式会社に組織変更。米屋勇が代表取締役に就任する。
天皇陛下の書著『相模湾産後鰓類図譜さがみわんさんごさいるいずふ』の原色版印刷を請け負う。
1950(昭和25)年『岩波写真文庫』創刊。写真版印刷を担当する。
1952(昭和27)年品川区東品川3丁目24 に品川工場を新設する。
1953(昭和28)年ハイデル自動印刷機を導入し、ハイデル凸版印刷機のモデル工場となる。『芸術新潮』を手がける。
1955(昭和30)年大型床式分解カメラ及びドイツ製スクリーンを購入。全印刷機を手動から自動に切り替える。
1956(昭和31)年原色版製版部門を品川工場に統合。
1970(昭和45)年品川区東品川に本社工場を建設。芝浦より移転。
1973(昭和48)年米屋功が代表取締役に就任する。
1975(昭和50)年ハイデル自動オフセット2色印刷機を導入、オフセット化が始まる。
1977(昭和52)年本社工場を増築し、製版部門と印刷部門を統合。
オフセット四六半裁4色印刷機を導入する。
1979(昭和54)年ダイレクトスキャナグラフSG701を導入する。
1980(昭和55)年製版刷版設備の充実を図り、オフセットのトータルシステムが完成する。
1981(昭和56)年『六大寺大観』『大和古寺大観』の原色版印刷技術に対して、相談役の高野英雄が黄綬褒章を授与する。
1992(平成4)年菊半裁オフセット6色機を導入する。
1993(平成5)年版下読取スキャナー導入によって製版部門を完全デジタル化。
四六半裁オフセット5色機を導入する。
岩波書店より夏目漱石の自筆原稿『心』の製版印刷を請け負う。
1994(平成6)年菊全オフセット4色機、四六半裁オフセット2色機を導入。印刷部門のシステムオート化完了。
1995(平成7)年マッキントッシュ、イメージセッターを導入し、DTPデジタル入稿に対応する。
1997(平成9)年自動調色機を導入し、特色インキ製造の効率化を図る。
1998(平成10)年製版部フラットスキャナー、インキプルーフ、サーバーシステムを導入する。
2000(平成12)年CTPを導入。工程短縮し品質向上、コスト削減に取り組む。
2003(平成15)年コンセンサスプロDDCPを導入する。
2006(平成18)年プリモジェットDDCPを導入する。
2008(平成20)年菊全判オフセット6色機コーター付を導入。
2010(平成22)年第44回造本装幀コンクールにおいて、日本書籍出版協会理事賞を受賞。
2012(平成24)年第46回造本装幀コンクールにおいて、日本書籍出版協会理事賞を受賞。
2014(平成26)年印刷工場内をハイブリッドUV(H-UV)化を実現する。
2015(平成27)年 創業100年となる。
米屋功が代表取締役会長、
米屋徹が代表取締役社長に就任する。